全ての始まりは、私が、新しいプロジェクトのリーダーに、抜擢されたことでした。それは、会社からの大きな期待であり、私自身のキャリアにとっても、間違いなく、大きなチャンスでした。最初は、やる気に満ち溢れていました。しかし、そのプレッシャーは、私が思っていた以上に、重く、そして冷たく、私の心と体に、のしかかってきたのです。毎晩、ベッドに入っても、仕事のことが頭から離れず、なかなか寝付けない。朝、目が覚めた瞬間から、胃がキリキリと痛み、食欲もない。週末、大好きな趣味に没頭しようとしても、心の底から楽しめない。そして、いつしか、日曜日の夜になると、明日会社へ行くことを考えただけで、涙が、勝手に溢れ出てくるようになっていました。体は、常に鉛のように重く、頭の中には、常に分厚い霧がかかっているようでした。明らかに、何かがおかしい。しかし、当時の私は、「リーダーなのだから、弱音を吐いてはいけない」「これは、自分が成長するための、試練なんだ」と、自分自身に、無理やり言い聞かせていました。そんな私を見かねて、声をかけてくれたのが、妻でした。「あなた、最近、全く笑わなくなったよ。一度、病院へ行ってみたら?」。その一言に、私は、張り詰めていた糸が、ぷつりと切れたような気がしました。そして、震える手で、インターネットで、「心療内科」と検索したのです。予約の電話をかける、その数分間が、人生で最も勇気が必要な時間だったかもしれません。初めて訪れたクリニックの、静かで、落ち着いた待合室。そして、診察室で、私の拙い話を、一度も遮ることなく、ただ、静かに、そして温かく、頷きながら聞いてくれた、医師の姿。私は、話しているうちに、自分でも気づかないうちに、涙を流していました。そして、医師は、静かにこう言いました。「それは、あなたの心が弱いからではありません。少し、頑張りすぎたんですね。適応障害です。まずは、ゆっくり休みましょう」。その瞬間、私は、長年背負ってきた、重い鎧を、ようやく脱ぐことができたような、不思議な安堵感に包まれました。病名がついたことで、私の苦しみは、単なる「甘え」ではなく、治療すべき「病気」なのだと、初めて、自分自身で、認めることができたのです。あの日の、あの勇気が、私の人生を、救ってくれたのだと、今なら、そう思います。