夏の食欲不振を語る上で、意外と見落とされがちなのが「睡眠の質」と食欲の関係です。連日続く熱帯夜は、単に睡眠時間を奪うだけでなく、深部体温が十分に下がらないことによる深刻な睡眠の質の低下を引き起こします。人間は眠っている間に、ホルモンのバランスを精巧に調整していますが、この中には食欲を支配する二つの重要なホルモンが含まれています。一つは、満腹感を感じさせ、食欲を抑制する「レプチン」。もう一つは、空腹感を生じさせ、食欲を増進させる「グレリン」です。近年の研究により、睡眠不足の状態ではレプチンの分泌が減少し、逆にグレリンが増加することが分かっています。一見すると、これでは食欲が増しそうに思えますが、夏の過酷な環境下では、このバランスの崩れが「適切な空腹感」を阻害し、不自然な食欲不振や、逆にある特定の不健康なもの(糖分や塩分が極端に強いもの)への渇望という形で現れます。睡眠不足によって脳の報酬系が狂ってしまうと、正常な食事を摂りたいという意欲が失われ、結果として「しっかりとした食事を食べる気がしない」という食欲不振に繋がるのです。また、睡眠不足は自律神経の修復を妨げ、日中の胃腸活動をさらに停滞させます。一晩中冷房の効かせすぎや、あるいは暑さによる中途覚醒を繰り返した身体は、朝起きた時点で既に疲弊しきっており、消化液を分泌する余裕がありません。夏の食欲を取り戻すための戦いは、実は夜、寝室に入る前から始まっています。就寝の一、二時間前には入浴を済ませ、一度上げた体温が下がるタイミングで布団に入る。寝室の温度は二十六度から二十七度前後に保ち、タオルケットや枕を工夫して頭部を涼しく保つ。こうして深い眠りを得ることで、初めて脳は翌日のための「食欲の設計図」を正しく描くことができるようになります。食欲がない時、つい「何を食べようか」と悩みますが、それ以前に「どう眠るか」を考えてみてください。質の高い睡眠は、身体の各臓器をリセットし、朝一番に「お腹が空いた」という健康的な感覚を呼び起こしてくれます。夜を制する者が、夏の食欲を制し、ひいては夏全体の健康を制するといっても過言ではありません。